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2015/7/3

できれば感情の垂れ流し屋さんとして生きていきたいけれども

家から一歩外に出れば、鼻歌を歌う男子小学生、路上喫煙するサラリーマン、井戸端会議に花が咲く主婦たち、靴を履いている。もちろん私も。どこかへ行きたいから靴を履くのか、靴を履きたいからどこかへ行くのか。

同じトップス、同じスカートを2着所持する人は限りなく少ないように、靴を片足分だけ所持する人も限りなく少ない。靴は2つで1つという自明の理。
片足分だけではただの塊に成り下がる靴は、寂しい。絆だとか友情だとか愛だとか叫び合って同調しなければ希望を見失う私を含めたほとんどの人間と似ている。誰にもわかってもらえなくても生きていけると理解することが大人になるということで、私はいつか大人になれるかもしれないけれど、靴にそのときが訪れることは永遠にない。片足分のお前はお前の分身がそばにいなければ何もできやしない。そのどうしようもなさに靴というアイデンティティが耐えられなくなって、お前は最早、石ころと同じさ。
けれども本当は、靴の何があっても離れられない関係性に嫉妬する。望まなかったさよならばかり色濃く残る私の人生に、私がいなければ呼吸を止めてしまう絶対者が存在していたらいいのに。大切にするのに。でも私には絶対者なんていない。これからも、誰かに近付いては離れる日々の連続。製造されてから焼却炉で燃やされるまで孤独のない世界を約束された靴のようにはなれないんだ。お前たちは何も言わず、目の前で寄り添い続ける。私は愛用のジッポーでお前たちに火をつけようか考える。大好きな小説本7冊を、真夜中、実家の屋上に運び、チャッカマンで燃やした21歳の冬を思い出す。まるで生き物のようにうごめく炎。パチパチと鳴る本。灰に帰する言葉。流れる大量の煙。迫る夜明けに色を変える東の空。大好きって、何? 大好きだからこの手で消し去ったのは常軌を逸脱していた? あれから5年経った今でもわからない。靴に同じことをしようとして、はっとする。そういうことね。

お前たちがいなければ、私は世界のどこにも行けない。それを知っているお前たちはすっかり安心して玄関で眠る。必要とされることに慣れきっている。誰かにわかってもらいたいと浅ましく願う今の私を無視するお前たちに描かれた未来図はどこまでも薔薇色。私は地団駄踏んでNIRVANAや銀杏BOYZを聴く。途中、くるりの「東京」も聴いて、いろいろ思い出して、涙腺が緩んで、寄る辺なき人間になる。お前たちを履いているつもりが、お前たちに履かれているみたい。

どうしてあれにこれに執着するのかと、その理由を探っていけば、理性だけでは対処できない、そして知りたくなかった私の本性と関係している感情に、年甲斐もなく飲み込まれてしまうんだから、「なんとなく」は「なんとなく」のままで放っておくのが、幸せに生きるコツであるように思える。これは、自分の好きなことを突き詰めて生きていくか、それとも自分の比較的向いていることを突き詰めて生きていくか、という究極の選択にも繋がっているような……。事実、好きなことでご飯が食べられる人はひと握り。このTSM渋谷には、そのひと握りになろうと一所懸命な方々がたくさんいて、憧憬の眼差しを向けずにはいられない。ただ、心にちらつくのは、兵士として戦争に駆り出されることもなく、空から爆弾が落ちてくることもない平和な国で、何をしても、何を考えてもいいと許されている私たちは、語弊を恐れずに言うと、月日の流れと共に、案外何もできず、何も考えられない私たち自身に気付いてしまうわけで、自由って残酷。ルーティンワークで手堅く収入が得られる公務員やサラリーマン、OLに落ち着くのが、一番賢明ではないかとも思う。でも、それはつまらないね。
やってみなくちゃわからないことばかり。世界には本当に正しいことなんて存在しなくて、迷いは常に生じるのだけど、あなたがそうしたいのであれば、とりあえず足を突っ込めばいいし、その先報われるとか報われないとかはうっちゃればいい。高い就職率を誇るこの学校関連のブログで何を書いているんだって感じはするが、進みたい道を歩んでいく中で、泣いたり笑ったりした思い出は、その人の人生において必ず煌めくのだから、いつか立ち止まるその人の手を引いてくれるのだから、無駄な挑戦はないと私は経験から思う。
「頑張って」とは言わない。あなたは気付かずとも、あなたの信念に基づいて生きている。明日のことはわからない、昨日のことは忘れてしまう、でも、靴を履いてどこまでもゆこう。世界はあなたのもの。

溝部尚子

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